最近は
自分というものを テーマに 家族だったり 自分の身の回りを 振り返っています。
私の人生で ずっと 大きく 自分なりに 向かい合ってきたつもりのこと
それは ずばり 母との関係ですが・・
なんというか 前よりと また 違った意味で 受け入れられる ようになりました。
たとえば・・
掃除 ひとつ とっても きれいにするという 考え方って 実は みんな 一緒ではないのだなと
みなさんは 掃除にどんなこだわりが ありますか?
私は 掃除と限らず なんでも わりと 同じ 考えなのですが
全体的にみて まぁ きれいに なったかなと 思えば 満足する人です。
私の 母は たとえば 床の汚れには すごく 敏感で そこは 徹底的に こだわるけれど
棚は そのまま・・ みたいな・・
私は これが ずっと 許せなかったのです。
私から 見れば 棚が 汚れているのに 母に 私の掃除は なってないと
言われることが・・
でも やっと 許せそうだと 思いました。
それは 見ている部分が 違うのだと 気づいたからです。
そして それは どちらが 正解という わけでもなく どっちも 必要だと いうこと
1ケ所を 一生懸命 やって くれる人が いるから その部分が すごく きれいに なるけど
その人が そこに 集中している分 他が できない
でも 全体を 見回す 人が いると その人の 仕事は 100点では ないけれど
やっては いるので 0点では ないと いうこと
だから すべてが 回っていくのだと
私は 全体を まんべんなく やるほうなので 同じ時間だと クオリティー的には 分散する分
下がってしまう・・
だから そこに 母からの 駄目だしが あっても 仕方ないなと 思ったし
母が こだわった部分は そこに 集中している分 クオリティーは あがる。
そこで 戦ったら 私は 負けて 当たり前なんだと
そう・・ 思うと
母の 存在も ありがたく 分散型の 私でも やっぱり クオリティーは 目指すべきだし
その部分で やっぱり 教えて もらっているんだな・・と
だったら 視点を 絞れば いいじゃないかという お話しも ありますが
いまさら それこそ 難しく
だったら その 分散型を 極めるしかないです。
視野が 広いと こだわりが 少ない分 みんなと 共存できる メリットは あります。
こだわりは ぶつかると なかなか 厄介かなと・・と
でも ぶつかって そこから あみだしたものが また それも クオリティーが あがるのかも?
しれません。
まだ まだ 修行が 足りないようです。(泣)